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歴史に”if(もし)”はない、と言うけれど!(もし、ペリーの黒船が地震・津波に遭遇して沈没していたら・・・・)

2013年03月05日作成

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幕末は日本の政治が激動した時代であると共に、実は日本の大地が激動し、日本中で巨大地震が頻発したもう一つの激動の時代、でもありました。

そんな激動の時代の真っ只中、欧米列強の力の象徴とも言える「黒船」に乗って日本にやってきたペリー。

この政治と大地が共に激動した時代、という新たな視点からこの黒船の到来を振り返ってみれるならば・・・・。

目次

泰平の眠りを覚ました「黒船」

泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たつた四杯で夜も眠れず

と狂歌に読まれたごとく、ペリーの黒船は、200年間の長きにわたった「鎖国」という泰平の世に慣れきっていた日本人たちを、文字通りに驚愕させました。

ご禁制であった江戸湾に堂々と侵入し、日本人たちにその威容を見せつけ、砲声を轟かせて日本人たちを震え上がらせた黒船。

それはまさに、欧米列強の力の象徴そのもの、でした。

不運のプチャーチンと強運のペリー

黒船が到来し、日本が動乱の渦中にあった幕末という時代。しかし、この時代は、毎年のように北から南まで日本中で巨大地震が頻発していたもう一つの動乱の時代、「大地の動乱の時代」でもありました。

そんな時代に、アメリカに負けじと日本にやって来たロシアのプチャーチンは、もろにこの「大地の怒り」に遭遇してしまった不運な男でした。

プチャーチンの乗ってきたロシア軍艦ディアナ号は、下田に停泊中、もろに安政東海地震という巨大地震に遭遇、続いて起こった大津波に飲まれて、ディアナ号は大破してしまったのでした。

それに引き換え、二度も日本にやって来ながら、二度とも巨大地震にも大津波にも遭遇しなかったペリー。このペリーは何と運の強い男、強運だったことでしょう!

「神のご加護」で「神風」は吹かなかった?

ペリーの二度の来航は、小田原地震と伊賀上野地震という、前後して起こった二つの大地震のちょうど合間を見計らったかのように行われたものでした。

まるで地震が起こる時期を予知してでもいたかのごとく、ペリーの一行は巨大地震の隙間をかい潜るように、幕府に迫って日本を開国させるための交渉を展開。

二度目の来航で、無事、幕府に日米和親条約を調印させると、茫然自失となった日本人たちを尻目に、悠々と引き上げて行ったのでした。

もしこの時に、プチャーチンの時と同じようにペリー一行が巨大地震に遭遇し、あの「黒船」が大津波で木っ端微塵になってしまっていたら?

おそらく、日本人たちは大地震と大津波の惨禍の中で、目の前で大津波に飲まれて大破する黒船を見ながら、あの黒船が「神様」のお怒りに触れた、と大喝采したことでしょう。

しかし、残念ながら「神風」は吹きませんでした!

まるで、「神のご加護」があったかのごとく、ペリーの一行は何の災厄にも遭遇することなく、その目的を果たして帰国して行ったのでした。

ペリー一行が引き上げた半年後、伊賀上野地震が起こり、続いてプチャーチンが遭遇した安政東海地震、その翌日には安政南海地震、さらに翌々日には豊予海峡地震(豊後水道地震)と、巨大地震が次々と日本列島を襲ったのです。

安政江戸地震で江戸が壊滅状態になったのは、そのペリー一行が引き上げた約二年後でした。

おわりに

不運のプチャーチンと強運のペリー。この対照的なロシアとアメリカのエピソード、何やらその後の日本の行く末を暗示していたようにも思えます。

その後の日本は、ロシアではなくアメリカの大いなる影響を受けながら、今日に至っているのですから。

歴史に"if(もし)"はない、と言われますが、もし、ペリーの黒船が大地震と大津波に遭遇して沈没していたら・・・・。 その後の日本の歴史は、大きく変わっていたかもしれませんね。

参考

大地動乱の時代 (岩波新書)

(Photo :PERRY'S EXPEDITION TO JAPAN By Lithograph by Sarony & Co., 1855, after W. Heine )

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本記事は、2013年03月05日時点の情報です。記事内容の実施は、ご自身の責任のもと安全性・有用性を考慮してご利用いただくようお願い致します。

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