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安政東海地震とディアナ号

2013年02月10日作成

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日本は世界でも有数の地震国ですから、日本の歴史は地震と共ににあったといっても過言ではありません。

あの幕末の時代、社会が激動していただけではなく、実は日本の大地もまた激動していた時代だったのです。

ペリーの黒船がやって来て日本中が上や下への大騒ぎになっていたちょうどその頃、日本の大地もまた上や下への大騒ぎを演じていたのです。

そんな幕末の興味深いエピソードを一つ、ご紹介しましょう。

目次

安政東海地震に遭遇してしまったロシア人

アメリカのぺリーが浦賀にやって来て徳川幕府に開国を迫りましたが、ロシアもまたアメリカに負けじとばかりに、プチャーチンを下田に寄こして幕府に開国を迫りました。

ところが、ちょうどその時に安政東海地震が起こり、プチャーチンの乗ってきたロシア軍艦ディアナ号は続いて来襲した大津波に飲まれて大破、プチャーチン一行はロシアに帰る船を失ってしまったのです。

幕末は「大地動乱の時代」だった

ペリーが来航した幕末というのは、毎年のように北から南まで日本中で巨大地震が頻発していた時代だったのです。そんな時代に二回も日本にやって来て、二回とも地震に合わなかったペリーとは、何と運の強い男だったことか!

それに引き換え、アメリカに負けじと日本にやって来たロシアのプチャーチンは、何とも不運な男でした。

下田に停泊中だったロシアの軍艦ディアナ号は、数十門の大砲を積んだ大型帆船でしたが、大津波の前にはなすすべもなく木の葉のように翻弄され、岸に打ち衝けられて大破してしまいました。

その様子を見ていた下田の人たちは、この災厄を起こした異国船が沈もうとしている、と喝采していたのでした。

ロシア人と日本人が協力して船を作る

プチャーチン一行はロシアに帰る船を失ってしまったのですが、プチャーチンは屈しませんでした。幕府に代船の建造を申し出、その船で帰国しようとしたのです。

何度となく押し寄せる津波と戦いながら、ロシア人たちは沈没する前にディアナ号から大砲や様々な装備品を陸揚げしていました。

その装備品を津波で壊滅した下田の復興に役立て、また船医が被災者の救援に尽力したこともあって、人々はしだいにロシア人に好意を持つようになりました。

こうして、伊豆半島をはさんで下田と反対側にある戸田が代船の建造地となり、ロシア人技術将校の指導の下、ロシア人船員と日本人の船大工が一致協力して「洋式帆船ヘダ号」を建造したのです。

プチャーチンと主だったロシア人将兵たちはこのヘダ号でロシアに向かい、他の乗組員たちは二隻の外国船に分乗して帰国して行ったのでした。

おわりに

あの幕末の激動の中、日本人とロシア人との間には、奇しくも地震と津波が取り持つことになったこんなエピソードがあったんですね。

日本とロシアとはその後いろいろとあったわけですが、その始まりが意外にも津波の惨禍の中での友愛のドラマであったとは。

陸揚げされていたディアナ号の大砲は日露和親条約調印の後に日本に寄贈され、後に函館戦争で使われて、今は靖国神社に陳列されています。

参考

大地動乱の時代 (岩波新書)

安政東海地震 (Wikipedia)

本記事は、2013年02月10日時点の情報です。記事内容の実施は、ご自身の責任のもと安全性・有用性を考慮してご利用いただくようお願い致します。

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