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諸地域世界の交流と再編:ヨーロッパ世界の交流と再編

2013年11月02日更新

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はじめに

現在、日本では領海、領土について問題が起きています。民族の移動を繰り返して来た西欧で近代国家が生成し、それが不完全ながら国際法という法の対象になったため、近代国家生成に至るまで歴史を学ぶことは、意義あることと考えます。

こちらでは、ヨーロッパ世界の交流と再編の学ぶポイントをご説明します。

ゲルマン人の大移動とゲルマン諸国家

学ぶ内容

ゲルマン人は、ローマ人に接触するまでは、文字を持っていなかったので、それ以前の歴史については、分からないことが多いそうです。

大移動の前には、ローマ側の記述として、カエサルの「ガリア戦記」、タキトゥスの「ゲルマニア」があります。

ゲルマン人は、モンゴロイド系のフン族に押され、東・西ローマ帝国に侵入(375年)し、後、西ローマ帝国内に王国を作ろうとしたオドアケルが西ローマ帝国皇帝を追放したため、西ローマ帝国は滅亡(476年)し、ゲルマン人の部族国家次々に誕生します。

北ガリアにはフランク、イタリアには東ゴート、南フランスからイスパニアにかけては西ゴート、ブリタニアには、アングロサクソン等々の各王国が誕生します。

おさえるべきポイント:西ゴート王国

ローマ帝国内に王国をつくり、西ローマ帝国の同盟国となり、その連合軍は、451年、フン族のアッティラ大王の軍を撃退しました。(カタラウムの戦い)

フランク王国

学ぶ内容

元々フランク族は、文化の遅れた部族で古ゲルマン以来の多神教を信じていました。

そのため、他の多くのゲルマン部族が信仰していたキリスト教義が、ローマ人のカトリック教義と対立して問題を起こしているのと異なり、あっさりカトリックへ改宗でき、圧倒的多数を占めるローマ人の支持を得ることができました。

そのこともあって、メロヴィング朝フランク王国は、その領域を現在のフランス、ベルギーに拡張できました。しかし、メロヴィング朝内部では宮廷内の争いが絶えず、実権を握っていたカロリング家では、イスラム軍をトゥール・ポワティエで破りました。

さらに周辺に領土を拡大し、多大の土地をローマ法王に寄進したことにより、カールが皇帝としてが任命されました。

おさえるべきポイント:トゥール・ポワティエの戦い

732年、西ゴート王国を滅ぼしたイスラム軍を、カロリング家と同盟した貴族の軍勢が中部フランスのトゥールとポワティエの間で撃退した戦いです。

西ヨーロッパの封建社会

学ぶ内容

9世紀に入ると、スカンジナビア半島やデンマークにいた北ゲルマン人に属するノルマン人が移動を始め、全ヨーロッパを包囲する勢いでした(第二次民族移動)。

すでに分裂していたフランク王国を断絶させたり、ノルマンディーからイングランドにも侵入して、フランス王の家臣のままノルマン王朝をつくったりしました。

こうして、ノルマン人の侵入は、防衛する側にも地方の小権力も成長させ、封建領主を生み出すきっかけとなりました。

10世紀から始まった鉄製農具のや三圃制農業の普及は、村落を多く発生させました。それを支配することで、封建領主はどんどん力をつけましたが、騎士は封建領主に従属する度合いが強まりました。封建領主の間では分裂がひどくなって行きました。

おさえるべきポイント:三圃制農業

種類の違う麦ならば、2年連作の可能なことを利用したものです。農地を冬穀・夏穀・休耕地(放牧地)に区分し、ローテーションを組んで耕作する農法です。

3年に1回耕地を休ませればよいので、二圃制農業やそれまでの2、3年休耕する方法より、はるかに効率的でした。

ビザンツ帝国(東ローマ帝国)

学ぶ内容

ビザンツ帝国は、ローマ帝国分裂の395年から、オスマン・トルコの侵入の1453年まで、約1000年の長い歴史を持ちます。本稿は、ヨーロッパに関するものなので、ビザンツ帝国のヨーロッパとのかかわりを中心に述べます。

東ローマは、民族移動の影響をほとんど受けませんでした。そこで、ユスティニアヌス帝(527~565)の時代には、地中海地域を再統一ができ、ユスティニアヌス帝は、ローマ法大全(ユスティニアヌス法典)も編纂しました。

しかし、東ローマは、その後、東方・北方の他民族の脅威により、地中海地域の経営が困難になり、さらに、フランク王国の伸長、イスラム勢力やノルマン人の進出などで、地中海の分割された部分だけを治めることになりました。

11世紀末に始まった西欧による十字軍は、正式なものだけでも7回あり、1回目はビザンツ帝国の要請で始まったのですが、13世紀初頭の第4回では、帝国自体が十字軍に倒されてします。しかし、中期には亡命政権により、帝国は復興されました。

おさえるべきポイント:ローマ法大全

現在のフランス民法などに影響を与えており、日本の大学でもローマ法として講義科目に入れているところがあります。

封建社会の変動と中央集権国家

学ぶ内容

11世紀に入ると、農業に従事せず、冒険商人として欧州各地回る人達が現れ、商人集落を形成し、それが都市に発展し、封建領主に対し自治を獲得します。

都市内には、商人ギルドや同職ギルドも誕生しました。

フランスやドイツで封建領主の筆頭である国王中心の十字軍が始まると、都市商人はそれを金儲けに利用しようとし、中小の封建領主は、国王の指揮下に置かれたので、国王の権威が高まりました。

また、封建領主と自治都市が衝突すると、国王は都市の味方をすることで、財政的にも潤いました。特にフランスやイギリスでは、国王はその金を家臣を増やすことや、他の封建領主を臣下にするのに使い、国王は最大の権力者となってゆきました。

イギリスとフランスの間に起こった百年戦争(1337~1453年)は、フランスの王位継承問題が原因ですが、結果として、戦争に騎士道精神を基準にした王でもある封建領主間の争いという意味がなくなり、イギリス、フランスという国家が形成されてゆくことになります。

おさえるべきポイント:ギルド

中世における各種職業組合のことです。都市内の商人や手工業者は、ギルドの厳しい規制の中で営業しなければならず、徒弟制度という身分制度の中で、親方だけが参加できました。

おわりに

西欧社会は、キリスト教社会でもあり、百年戦争でフランスを救ったと言われるジャンヌ・ダルクは、カトリック教会により聖者として認められました。近代国家生成の功労者ということなのでしょうか。

日本の天草四郎は聖者として認められておりません。この辺に西欧社会を考えるヒントがありそうな気がします。

(photo by 著者)

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本記事は、2013年11月02日時点の情報です。記事内容の実施は、ご自身の責任のもと安全性・有用性を考慮してご利用いただくようお願い致します。

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