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  6. 幕末の流れをとらえるコツ

幕末の流れをとらえるコツ

2013年10月30日更新

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はじめに

日本はなぜ開国したのか?それは外国に開国をせまられたからです。

しかし、開国によって日本の歴史の流れが大きく変わったということを意識して考えましょう。

重要な用語やテストに出る記述は太字にしておきます。

ペリー来航

1853年、浦賀に黒船が来航。ペリーが日本に開国を要求しました。

このときはいったんアメリカに戻り、1854年に黒船7隻を率いて2度目の来航をそました。

人物

ペリーは当時、アメリカの軍人でした。黒船4隻を率いてやってきました。

ただし発砲は禁止されていたそうです。

意図

アメリカは清との貿易や捕鯨の寄港地として日本を利用したいと考えていました。

日米和親条約

1854年にペリーが2度目の来航をし、日米和親条約を結ぶことになりました。

このとき、イギリスやロシアなどにも同じような条約を結びました。

おもな内容

  • 下田、函館の開港
  • 漂流民の保護や石炭の補給
  • 最恵国待遇
通商内容は含まれていないです。

幕府の状況

日米和親条約を結ぶ際、諸大名や朝廷に意見を求めたことによって権威が急激に低下しました。

その後

1858年に大老井伊直弼が独断で日米修好通商条約を結び、桜田門外の変で殺されることになってしまいました。

日米修好通商条約は不平等な条約だったため、幕府への不信感が高まりました。

領事裁判権を認め、関税自主権がなかったことが不平等でした。

大政奉還

1867年、徳川慶喜大政奉還を行いました。

大政奉還とは政権を朝廷に返すことです。

人物

徳川慶喜は15代将軍でした。最後の将軍であり、幕府の勢力を保つことを断念せざるおえなかった人です。

意図

幕府勢力を保って次政府でも発言力を保つために行いました。

アドバイス

筆者は大政奉還の後すぐに明治元年(1868年)になった事をしっかり頭に入れました。

時代のつながりを覚えていることはテストの並び替え問題などでも役に立ちます。

ペリー来航→開国→大政奉還という流れを年表にしてみると分かりやすいです。

おわりに

ペリー来航から大政奉還まで、15年ほどしか経っていないのが分かったと思います。

そう、この時代は本当に歴史の流れの移り変わりが早かったんだと覚えてください。

(photo by 足成)

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本記事は、2013年10月30日時点の情報です。記事内容の実施は、ご自身の責任のもと安全性・有用性を考慮してご利用いただくようお願い致します。

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