生活の知恵があつまる情報サイト

nanapi

Icon hobby趣味・娯楽

  1.  
  2.  
  3.  
  4.  
  5. 国宝ができた経緯を知って楽しむ方法(慈照寺・銀閣)

国宝ができた経緯を知って楽しむ方法(慈照寺・銀閣)

2015年03月03日更新

 views

お気に入り

はじめに

京都市の東山・慈照寺の中に建築されている国宝「銀閣」は、小学校の教科書にも載っており大変有名な修学旅行コースの1つです。

銀閣は室町時代、八代将軍・足利義政によって造られました。まさに日本庭園といった趣の緑が映える美しい庭と、その中にひっそりと建てられた銀閣。

修学旅行などで1度は見学した方も多いと思われるこの銀閣を、皆さまはどのように思われたでしょうか。「なんか地味な建物」そんな感想も多い気がします。

ここでは、国宝・銀閣をもっと趣深く見ていただくために、将軍・足利義政がなぜ銀閣を建てたのかを書かせていただきます。

銀閣はダメ夫の逃げ場として建てられた

義政には義勝という兄がいたのですが、彼が亡くなったため8歳で将軍職に就きました。もちろん、8歳の子供に政治ができるはずはなく、ここから室町幕府の側近政治が始まっていきます。

思うようにいかない政治

なる気もなく将軍職に就いてしまった義政でしたが、初めは少しは政治に介入しようと頑張っていました。しかし、その時代は義政の後見に就いた畠山家や他にも有力な権力者がうようよしていた時代でした。

義政は次第に権力や政治を疎むようになり、酒や女に溺れていきます。

日野富子という恐い悪妻

義政は20歳の時に16歳の日野富子を正室に迎えます。この富子がまた欲の強い女でした。富子の実家の日野家もますます政治に介入し、側室も追い出される始末でした。

さっさと隠居したくなった義政は、寺に入っていた弟の義尋を呼び寄せ、将軍職を譲る決心をしました。が、その途端、富子に男児ができてしまいます。

自分の息子を将軍職に就けたい富子と、僧の身分を捨てて将軍職に就く決心をしていた義尋の間に亀裂が走り、これにそれぞれお家事情があった当時の有力者の家督問題なども絡み、都は応仁の乱に突入します。

そして義政は庭造りに励む

それらの事に辟易した義政は、世の中の事情や政治や妻から逃げるように、書院造りに励み始めます。

富子との不仲は決定的なものになり、館には全く寄り付かなくなりました。この時、庶民は応仁の乱で家も畑も失い、高い税に苦しみ、大飢饉が起きていたというのに、義政は1人趣味に没頭していたのです。

こうして出来上がったのが銀閣でした。義政にとって銀閣は、まさに仕事や世間や妻からの隠れ家となったのです。

おわりに

足利義政の時代は東山文化という後世に残る素晴らしい文化を作り出した時代です。国宝・銀閣もその内の1つです。

しかし、表では戦は起き、飢饉は起き、全く風流でも何でもない混沌とした時代背景が広がっていました。

風流な将軍が世俗から逃げるために好き勝手に作り出した文化が、今日国宝として人々に褒め称えられているのは何とも皮肉なことです。

皆さまも銀閣をご覧になる時は、そんな裏事情から出来た物だったんだ、という事を思い出してみてください。風流な建物の中にダメ将軍の悲しい顔が垣間見えるかも知れません。

Photo by 銀閣寺の紅葉 By.norio.nakayama

この記事で使われている画像一覧

  • 20110304054519

本記事は、2015年03月03日時点の情報です。記事内容の実施は、ご自身の責任のもと安全性・有用性を考慮してご利用いただくようお願い致します。

編集部ピックアップ

期間限定のPRコンテンツをチェック!

もっと見る