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歴史上の人物から時代背景を見る(水戸黄門は日本全国を回っていない)

2010年12月13日作成

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目次

はじめに

「水戸黄門」は日本中誰もが知っている時代劇です。格さん助さんを長にした御一行と全国を行脚し、悪代官を倒して悪政を正すワンパターンながらも痛快なドラマですね。

実際に水戸黄門とは、どのような人だったのでしょうか。歴史背景と共に見てみましょう。

水戸黄門とは

本名は徳川光圀。水戸藩の二代目藩主に当たり、徳川家康の孫でもあります。

若い頃は不良行為の数々

名君と言われている光圀公ですが、若い頃は大変な不良であったと言う記録が残されています。遊郭に通って散財し、辻斬りまで行っていたと言われています。

※辻斬りとは、刀の試し斬りや憂さ晴らしなどを目的に武士が庶民を理由も無く斬り捨てる、言わば通り魔のような物です。

18の頃から勉強熱心に

18歳の頃、書物に感銘を受けた光圀公は君主としてあるべき姿を見出すために学問に励みだします。家臣に対して殉死を禁止した最初の藩主だとも言われています。

また、歴史書を編集したり、文化財の保護活動を行ったりと、国の文化を発展・保護する功績もたくさん残しています。

新しい物がお好き

日本で初めてラーメンを食べたのは光圀公だと言われています。ラーメン以外にもチーズや牛乳も日本で初めて口にしたのは光圀公だったようです。好奇心の旺盛なお人柄が窺えます。

財政の悪化を招く

何事も拘りぬいてやりとげた光圀公でしたが、文化事業への出資額は大きすぎたようです。この事は光圀公以来、水戸藩の財政悪化に繋がっていきました。

全国行脚の旅をしたのか?

ドラマでは日本全国を行脚している光圀公ですが、実際にはそのような事は無かったようです。

関東地方を出る事はなかった

水戸藩が位置する茨城県、鎌倉など神奈川県、栃木県、千葉県の一部に文化事業のために行脚した記録は残っているようですが、関東地方を出る事はなかったようです。

松戸神社(千葉県)

光圀公ゆかりの一社です。大銀杏の上の白鳥を射ようとして、折れた弓矢を奉納されてお帰りになった、と伝えられています。

松戸神社:千葉県松戸市松戸1457
交通:JR松戸駅より徒歩約10分

おわりに

ドラマと実際の姿にガッカリした方もいらっしゃるかも知れませんが、光圀公が当時の将軍・綱吉公が制定した「生類憐みの令」に苦言を呈するなど幕政にも影響力を持っていた事は事実です。

若い頃の行いはともかく、世のために動こうとした素晴らしい藩主であったことは確かなのでしょう。その人気が現代にまで繋がっているのですね。

(冒頭の写真:Photo by Peaceful Paradise Life)

徳川光圀 (人物叢書)

本記事は、2010年12月13日時点の情報です。記事内容の実施は、ご自身の責任のもと安全性・有用性を考慮してご利用いただくようお願い致します。

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