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あの頃から伝説級だった!プロ野球選手の甲子園エピソード

2015年07月10日作成

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野球選手にとってのひとつの夢でもある甲子園。多くの球児がその舞台を目指して青春時代を野球に注ぎます。そんな甲子園は、野球選手のもうひとつの夢でもあるプロ野球界への架け橋となります。

今では野球界を引っ張るようなスーパースターや現役を引退した伝説的な選手達は、どんな高校時代を過ごしたのでしょうか。ここでは、プロ野球選手が高校時代に残した伝説的な記録や名場面をまとめました。

目次

大谷翔平……高校生で最速160kmを記録した日本人最速投手

大谷翔平選手は北海道日本ハムファイターズに所属している現役の若手選手です。投手と野手を兼任する「二刀流」の選手で、162km/hを投げた歴代日本最速投手です。打者としてもメジャーリーガーに匹敵するほどのバッティングセンスを持っていると言われています。

まだ若手の、かなり将来が期待されている大谷選手ですが、高校生のときは一体どんな活躍をしたのでしょうか。

大谷選手の甲子園伝説

大谷選手は花巻東高校に進学後、1年春から公式戦に出場します。同年秋からはエースを務め、自身最速の147km/hを記録をしました。その後、3年夏の地方大会の準決勝でアマチュア野球史上初となる最速の160km/hを記録しました。

投手のみならず、勝ち進んだ甲子園一回戦の大阪桐蔭戦でエース藤浪晋太郎(現在、阪神タイガース所属)相手にホームランを打ち放ったことで、バッターとしても大きな話題に。当時から投手・打者共に底しれない潜在能力を持ち主だと評されていたんですね。

田中将大……伝説となった決勝戦vsハンカチ王子

2006年にドラフト1位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団しました。野村克也監督に「マー君、神の子、不思議な子」と評され、田中選手が投げるとチームの雰囲気がよくなると言われていました。

その後、2013年にエースとしてチームを優勝に導き、シーズン無敗で28連勝と驚異的な記録を叩き出し、ギネス世界記録に認定されました。現在はニューヨークヤンキースと契約を結び、メジャーリーグでの新たな舞台に進んでいます。

田中選手の甲子園伝説

そんな田中選手が一躍有名になったとも言えるのが3年夏の甲子園の決勝戦、早稲田実業との試合です。ハンカチ王子こと斎藤佑樹選手(現在、日本ハムに所属)と1ー1で決着がつかず、史上2回目となる決勝戦の引き分け再試合となります。

再試合で接戦となるも、自身が最後の打席に立ち粘りをみせるが空振りの三振し、3ー4で惜しくも優勝を逃しました。この試合は歴史に残る大激闘で、多くの人に感動をあたえました。

松坂大輔……平成の怪物と呼ばれた逸材

埼玉西武ライオンズにプロ入り後、2004年にアテネオリンピックと第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に日本代表として出場し、日本のメダル獲得に貢献した松坂選手。WBCでは最優秀選手に選ばれました。

その後、メジャーリーグのボストン・レッドソックスと契約し5年間所属、現在は日本に戻ってソフトバンクホークスに所属しています。

松坂選手の甲子園伝説

松坂選手は、横浜高校に進学しました。高校2年の夏の大会、先輩の思いを背負った2年生エースでありながら自分のせいで負けた悔しさから、死にものぐるいで練習をするようになります。そこから「平成の怪物」の伝説が始まりました。

高校3年の夏の甲子園では順調に勝ち進み、PL学園と対決した準々決勝は延長17回まで持ち込んだ両者一歩も引かない接戦に。松坂選手は1人で250球を完投、試合時間なんと3時間37分にわたる激戦を突破します。この試合は甲子園の歴史の中でも屈指の名勝負と呼ばれるようになります。

続く準決勝ではベンチで試合を見守る中、チームは8回まで6対0の敗戦ムードになっていました。しかし、松坂が投球練習を始めた途端に球場の雰囲気が一転、8回裏には4点を返し、9回表で登板し、無失点に抑えます。裏の攻撃では3点を返し、奇跡的な逆転を果たしました。

そして決勝戦では相手をノーヒットノーランに抑え、見事夏の甲子園を制覇します。数々の伝説を作った松坂選手は、一躍甲子園のスターとなりました。

松井秀喜……5打席連続敬遠されるほど恐れられたゴジラ松井

ゴジラ松井の愛称で知られる松井秀喜選手は、メジャーリーグのニューヨークヤンキースで4番を務め、2012年には国民栄誉賞を受賞した、野球界屈指のスーパースターです。

1992年に読売ジャイアンツにドラフト1位で入団します。その後の活躍により、高卒わずか4年で1億円プレイヤーになります。2003年からメジャーリーガーで活躍、日米ともに多くのファンの心をつかみました。

松井選手の甲子園伝説

松井選手は星稜高校に進学後、1年生のときから4番を務め、相手高校からは「恐怖の1年生4番」とまで呼ばれるようになります。

高校3年の夏には甲子園出場しますが、2回戦での明徳義塾高校との一戦で事件が起きます。なんと松井選手が立った5打席が、連続ですべて敬遠されてしまったのです。松井選手は一球もバットに触れることすらなく、星稜高校は敗戦。試合途中から球場は騒然とし、試合後も急遽記者会見を開くなど社会問題にまで発展してしまいました。それほどまでに注目を浴び、試合相手から警戒されていた選手ということですね。

その後の日米韓3国親善高校野球大会では日本代表で出場し、アメリカのマスコミに取り囲まれてまるでスーパースターのように注目されたそうです。

桑田真澄・清原和博……PL学園の黄金時代を築いた伝説のKKコンビ

桑田真澄選手と清原和博選手の頭文字をとった「KKコンビ」は、PL学園の黄金時代を飾った名コンビ。

桑田選手は1985年に読売ジャイアンツにドラフト1位で入団後、先発の柱として支えてきました。2007年にメジャーリーグのピッツバーグ・パイレーツにて現役を引退しました。

清原選手は1985年に西武ライオンズにドラフト1位で入団、その後読売ジャイアンツとオリックス・バファローズで活躍し、プロ野球通算ホームラン数歴代5位などの記録を打ち出しました。

KKコンビの甲子園伝説

PL学園では、高校1年のときから桑田選手はエース、清原選手は4番バッターとして活躍。高校1年の夏の大会で優勝を果たし、高校3年の夏まで連続で5度の甲子園に出場しました。

桑田選手は甲子園での記録が通算20勝と、戦後最多の記録を保持しています。一方の清原選手も通算13本のホームランを記録し、歴代1位の記録を打ち立てました。

江川卓……甲子園の奪三振王「怪物くん」

現在、野球解説者やタレントとして活躍されている江川卓さんですが、テレビで見られるおちゃめな様子からは想像できない、凄腕のピッチャーでした。読売ジャイアンツに入団後、投手五冠を達成するなどの活躍をしてエースとして活躍しました。

江川選手の甲子園伝説

高校時代は「怪物江川」と呼ばれ、球威はすでにプロのレベルに達していたと言われています。県予選では9回のノーヒットノーランを達成し圧倒的な力で相手を押さえ込んでしまうほどでした。

バットがボールに当たりすらしないため、相手がボールに当てただけで球場に歓声がおこった、という逸話もあるのだとか。

そんな江川選手は、甲子園初出場となる3年時の春の選抜で、いきなり19連続で三振を奪います。劇的なデビューを飾った江川選手の活躍は、今でも「甲子園の奪三振王」として野球ファンの記憶に残っています。

王貞治……甲子園ではエースだった世界の王

1980年に現役を引退し、通算868本の本塁打といういまだ破られていない記録を保持しているスーパースターです。引退後は日本代表の監督としてWBSで初優勝を果たし、名実ともに「世界の王」となります。国民栄誉賞の初受賞者でもあり、野球界の偉人と崇められる偉人です。

王選手の甲子園伝説

その高校時代は早稲田実業高校のエースとして活躍していました。高校2年のときにエースとして出場した春の選抜高校野球大会では、大会中に左中指の爪を割ってしまいましたが、ボールが血染めになりながらも完投し、見事優勝します。

その年の夏の甲子園ではベスト8に倒れていますが、初戦の寝屋川高校をノーヒットノーランで抑えているなど、投手としての素質も抜群でした。

今年の甲子園ではどんな野球界のレジェンドが・・・?

今回取り上げた選手は野球界では偉人のような方達ばかりです。高校生のときからすでに圧倒的なセンスと能力を発揮し、その怪物ぶりに甲子園は震撼していたものです。

これからの高校野球ではどんな選手やドラマが生まれてくるのでしょうか。今年の甲子園も楽しみですね。

(image by 写真AC)

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本記事は、2015年07月10日時点の情報です。記事内容の実施は、ご自身の責任のもと安全性・有用性を考慮してご利用いただくようお願い致します。

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