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実は古代の祭祀だった?あまり知られていない相撲の由来と歴史

2015年01月19日作成

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日本の「国技」として扱われている相撲。海外にもその存在を広く知られ、現在では外国の方が相撲観戦にくることも多く、また外国人力士の台頭も気になるところです。

しかし、国技国技とは言いながらも、その歴史まで理解している人は少ないのではないでしょうか。なぜ相撲が「国技」と呼ばれるようになったか、そもそも相撲の起源とは一体何なのか?ということを説明できる人はなかなかいませんよね。

そこでこの記事では、日本の相撲の歴史、起源や由来などを経て、今のような相撲の形ができあがるまでの流れを紹介します。

相撲の起源

小さいころ友達と取っ組み合いのけんかをしたり、腕相撲などの力比べをしたことがある人は多いと思います。相撲もそのような人間の闘争本能の発露である力くらべや取っ組み合いから発生した伝統あるスポーツであり、世界にも似たような形のスポーツは数多く見られます。

ここでは日本の相撲の起源とみられる、「古事記」(712年)の国譲りの神話と、「日本書紀」(720年)の宿禰(すくね)・蹴速(けはや)の天覧勝負の伝説を紹介します。

古事記「国譲り神話」

昔、出雲地方は大王オオクニヌシノオオカミが治めていました。その様子を天上から眺めていたアマテラスオオミカミは、「出雲地方は我が子が統治すべき」と考え、力自慢で有名なタケノミカヅチをオオクニヌシのもとへ差し向けました。

タケノミカヅチは「出雲を我々の手に渡すか、それとも滅ぼされたいかどっちか」と脅し、オオクニヌシは「私の一存では決められないので、息子たちに聞いてください」と言い、息子たちに判断をゆだねます。

長男のヤエコシロヌシは「言うとおりにしましょう」と言いますが、次男のタケノミナカタは反対し、彼はタケノミカヅチと力比べで勝負することになります。しばらく投げたり投げられたりを繰り返しているうちに、タケノミナカタは自分の敗戦を悟って逃げ出します。出雲から信濃(長野県)の諏訪湖のあたりまで逃げますが、彼はその戦いの負傷が元で死んでしまいました。

日本書紀「宿禰(すくね)・蹴速(けはや)の天覧勝負の伝説」

大和国(現在の奈良)では、「強力を誇って生死を問わない勝負をする者」を探していました。これを聞いた垂仁天皇が出雲から強いと評判の野見宿禰(のみのすくね)を召し寄せ、大和で強いとされていた当麻蹴速(たいまのけはや)と捔力(すまひ、その時代の相撲)で対戦させました。

激闘の末に宿禰は勝利し、蹴速は死んでしまいます。垂仁天皇はたいへん喜び、宿禰は領地をもらって、天皇につかえることになりました。

相撲はどういう目的で行われてきた?

相撲の歴史は長く、時代ごとに持つ意味合いが変化していきます。どのような変遷をたどってきたのか見てみましょう。

農作物の豊作への祈り・占い

民衆の間での相撲は、稲作が始まったのと同時期の、縄文時代後期から弥生時代にかけて始まったとされています。地区ごとに代表の力士を出し、別の地区の代表者と対抗戦を行わせ、''農作物の出来不出来を占ったり、豊作を祈願する''行事として毎年行われていました。

勝者の地区は豊作豊漁、敗者は不作不漁と判断されていました。また、神の恩恵と加護を得て農耕生産がうまくいくことを祈願する祭祀として行われていました。

宮廷行事

上記の宿禰・蹴速の天覧勝負の伝説がもととなり、宮廷では相撲節会(すもうせちえ)という行事が734年の7月7日から正式に執り行われるようになりました。全国の相撲人を集め、宮中の庭で相撲を取らせたとされています。

武家相撲

鎌倉時代に入ると武士の時代に突入します。相撲も農作物の豊作祈願のためだけではなく、''武士の体の鍛錬のため''という面を持ち始め、盛んに行われるようになりました。また、「力が強いことは戦いにおいて優勢を得ることができる」として、武家では力士を雇うようにもなりました。

戦国時代にはかの織田信長も相撲を愛好し、各地から力士を集めて上覧相撲を行い、勝ち抜いた者を家来として召抱えました。

勧進相撲

江戸時代には現在の相撲の形がほぼできあがります。''娯楽の一種''として民衆に相撲が親しまれるようになるのです。

「勧進相撲(かんじんずもう)」といって、お寺や橋などを建て替える寄付を集めるために、相撲をやって人を集める、という形態をとるようになりました。ここから力士を生業とするプロが現れはじめます。江戸時代中期には江戸・大阪・京都などで相撲の興行が定期的に行われるようになり、人々の相撲人気は高まっていきました。

しかし、人気が出すぎたために競技のルールなどをめぐってけんかや争いが絶えず、幕府はたびたび禁止令を出しました。このために相撲関係者は決まり手を定め、土俵を作り、競技ルールを定めました。さらに相撲部屋も作って、力士の養成に努めたのです。

歴史を知るとさらに面白くなる!

相撲は日本の「国技」といわれていますが、実際には国が「国技です!」とはっきり定めているわけではありません。しかし、このような歴史の流れを見ると、宮中や民衆とも結びつき、昔から日本人に愛されてきた競技だということが分かりますね。「今まで一度も見たことがない」という人も、一度観戦してみてはいかがでしょうか。

(image by 写真AC)
(image by amanaimages)

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本記事は、2015年01月19日時点の情報です。記事内容の実施は、ご自身の責任のもと安全性・有用性を考慮してご利用いただくようお願い致します。

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